2024.09.30
レポート

[レポート]景気と賃金の関係:景気変動と賃金動向にはどのような関係があるのだろうか?

株式会社ナウキャスト Economic Research Unit

井上 雄介 余野 京登


【概要】

  • ナウキャストでは大量の求人広告データをもとに「HRog賃金Now」と呼ばれる速報性の高い賃金動向指数サービスを開発・提供しています。本レポートではこのHRog賃金Nowを使用して、景気(内閣府が公表する景気動向指数)と賃金(HRog賃金Nowの募集賃金指数、毎月勤労統計の支払賃金)の関係性をVARモデルを用いて分析しました。分析の結果、特に東証株価指数と正社員の募集賃金や正社員の支払賃金と新設住宅着工床面積の間に以下のような関係が確認されました。
  • 東証株価指数の上昇は7カ月目まで正社員の募集賃金を減少させており、予想通りに上昇するのは8カ月目以降という結果が確認されました。長期的には東証株価指数の上昇(下降)は正社員の募集賃金を増加(減少)させると考えられますが、短期的には企業にとって雇用者数や賃金の増減を通じた労働力の調整を即座に行うことが難しいためであるといえます。
  • 正社員支払賃金の上昇は0-2カ月目まで新設住宅着工床面積を減少させており、予想通りに上昇するのは3・4カ月目後という結果が確認されました。長期的には正社員支払賃金の上昇(下降)は新設住宅着工床面積を増加(減少)させると考えられますが、短期的には正社員への支払賃金の上昇というコスト増を受けて企業が経済活動を短期的に抑制することや正社員労働者が賃金が上昇した分、消費を即座に拡大する訳では必ずしもないことといえます。
  • このように、賃金と景気の関係が一般的に予想される結果へと落ち着くまでには、一定のタイムラグが発生することが確認されました。


【詳細】

はじめに

内閣府が2024年9月6日に公表した景気動向指数の速報値によると、景気と一致して推移するとされる一致系列は117.1となり、先月と比べて3.0ポイント上昇しました。基調判断は3カ月連続で「下げ止まり」を維持しています。このように景気動向指数は、経済の動静を把握するための有益な指標として広く利用されています。一致系列の他にも、景気に先立って推移する先行系列、遅れて推移する遅行系列があり、目的に応じて使い分けることで景気動向を把握することが可能です。

本レポートでは、賃金との関係で景気の先行きを分析するために先行系列を採用します。賃金は、求人時の求人賃金である募集賃金と、雇用された後に実際に支払われる支払賃金を使用します。賃金はさらに正社員・パートで分けています。

これらのデータを使用し、景気動向の変動を受けて募集・支払賃金がどのように推移するのか、または募集・支払賃金の変動が景気動向にどのように影響するのか、分析を行います。


データ

今回利用するデータは景気動向指数・先行系列のうち、長期国債(10年)新発債流通利回り・実質機械受注(製造業)・東証株価指数・新規求人数(除学卒)・新設住宅着工床面積・中小企業売上見通しDI・消費者態度指数・鉱工業用生産財在庫率指数(逆サイクル)を使用します1。これに募集賃金・支払賃金を合わせた各指標の概要及び推移は図表1・2の通りです。



 図表1 データの概要
 出所:内閣府「景気動向指数 個別系列の概要」をもとに作成。


図表2 データの推移
出所:内閣府「景気動向指数」

分析方法

具体的な分析方法は Ⅰ.景気動向指数が賃金に与える影響(先行系列)(景気→賃金)、Ⅱ.賃金が景気動向指数に与える影響(賃金→景気)の二方向で検証を実施します。その際の各変数の組み合わせは図表3の通りです。


Ⅰ.景気動向指数が募集・支払賃金に与える影響分析の場合
(景気→賃金)

Ⅱ.募集・支払賃金が景気動向に与える影響分析の場合
(賃金→景気)

 図表3 検証する変数の組み合わせ

分析にはVARモデル(Vector auto regression:ベクトル自己回帰モデル)を使用します。VARモデルは、複数の変数とそのラグ値を回帰モデルに使用することで相互的な関係を内生的に定式化する時系列分析の方法です。VARモデルは、使用するそれぞれの変数の数と同じ数の式から構成されます。例えば1カ月前までのラグを考慮した賃金と景気の2変数から設計されるモデルは、以下の2式で表現されます2



αは定数項、βは回帰係数、εは誤差項、tは時点を示します3。上記の式は、t=2024年9月とすると2024年9月の賃金(景気)は同年8月の景気と賃金によって決定されるということを意味しています。

またVARモデルで良く使用されるインパルス応答関数では、使用した変数間のショックを数量的に把握することが可能になります。賃金と景気という2変数で定義されるインパルス応答関数の場合、賃金に+1%のショックを与えた際に景気がどの程度のショックを受けるのかを示します。今回の分析ではショックが発生した0から12期(0カ月目から12カ月目)までのインパルス応答関数を計測しております。


結果

賃金から景気、景気から賃金のショックの影響を図示した結果は図表4-Ⅰ及び図表5-Ⅰの通りです。縦軸はインパクトを、横軸は時間(月次単位)を示します。図表4-Ⅱ及び図表5-Ⅱで簡易的に結果を概略していますので、図表に沿って説明します。


①景気が賃金に与える影響

まず景気が賃金に与える影響(景気→賃金)について説明します。図表4-Ⅰから景気が賃金に与える影響として、特に長期国債新発債流通利回りと実質機械受注へのプラスのインパクトは、短期的には正社員とパートの支払賃金にプラスに影響する(上昇させる)ことが確認できます。東証株価指数7カ月目までマイナスに影響しています。


図表4-Ⅰ. インパルス応答関数の推移:景気→賃金


図表4-Ⅱ.インパルス応答関数の結果の概要:景気→賃金

②賃金が景気に与える影響

次いで図表5-Ⅰで賃金が景気に与える影響について結果をみると、正社員・パートの支払・募集賃金へのプラスのインパクトは、短期的に景気へマイナスに作用していることが確認できます。


図表5-Ⅰ. インパルス応答関数の推移:賃金→景気


図表5-Ⅱ.インパルス応答関数の結果の概要:賃金→景気 

考察

以上の結果のうち、【4-Ⅰ(c)東証株価指数が正社員の募集賃金に与える影響】と【4-Ⅱ(a)正社員の支払賃金が新設住宅着工床面積に与える影響】の二つに焦点を当て考察します。


【4-Ⅰ(c)東証株価指数→募集賃金(正社員)】   

東証株価指数の上昇という景気の拡大は、企業業績の好転を通じて労働需要の増加に伴う賃金上昇圧力が生じやすくなります。このことから、企業が正社員の募集賃金を引き上げるという経営判断を下す可能性が予想されます。しかし本分析では東証株価指数の上昇は7カ月目まで正社員の募集賃金を減少させており、予想通りに上昇するのは8カ月以降であることが確認されました。こうした予想との相違は、企業にとって雇用者数や賃金の増減を通じた労働力の調整を即座に行うことが難しいためであるといえます。また東証株価指数の上昇によって将来的な物価の高騰が見込まれ、インフレ期待が高まると、賃金は実質的に減少することになります。従業員がより待遇の良い労働環境を求めて離職しないように、企業は優先的に正社員の支払賃金の引き上げる一方で、募集時の賃金は一時的に減らすといった対応が必要になると考えられます。


【4-Ⅱ(a)支払賃金(正社員)→新設住宅着工床面積】

正社員の支払賃金の上昇は、一般的に消費者の購買力の向上を通じて新設住宅の需要を増加させる可能性が高まると予想されます。しかし本分析では正社員支払賃金の上昇は0-2カ月目まで新設住宅着工床面積を減少させており、予想通りに上昇するのは3・4カ月後であることが確認されました。こうした予想との相違は次のように考えられます。正社員への支払賃金の上昇というコスト増を受け、企業が積極的な経済活動を差し控えるため、景気は一時停滞的に推移することが想像されます。これは消費の減退を伴うので、新設住宅着工床面積が直ちに拡大するとは言い難いでしょう。また賃金の上昇を受けて正社員労働者が即座に消費を拡大する訳では必ずしもないことも理由として考えられます。 


結論

本レポートでは経済循環をわかりやすく把握するために、賃金と景気という2変数とラグのみというシンプルなモデルで分析を試みました。特に東証株価指数と正社員の募集賃金や正社員の支払賃金と新設住宅着工床面積の間には、一般的に予想される結果へと落ち着くまでに一定のタイムラグが発生することが確認されました。東証株価指数が上昇した場合には、労働力の調整や支払賃金を優先しての対応で、企業は直ちに正社員の募集賃金を引き上げていないようでした。また正社員の支払賃金が上昇した場合には、コスト増を予想して経済活動を短期的に抑制する企業の反応と賃金上昇を即時的な支出の拡大を躊躇う消費者の反応が確認できています。



【注釈】
1 先行系列の中で上記の指数を選択した基準は、ADF検定(Augmented Dickey-Fuller test)及びGranger因果性検定の結果に依拠しています。
2 今回の分析ではラグ数の選択を統計的に検証して設定しています。
3 今回の分析では賃金と景気の各変数について対数差分値(季節性控除済)に変換しています。これは脚注1で振れたADF検定を通過させるための処理となります。対数差分値は変化率に近似されるため、本分析の単位は変化率となっています。

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